2007年4月12日木曜日

地デジのコピー制御方式見直し,「回数限定で1世代のみコピー可」へ

日経エレクトロニクス2007/4/9より
コピー・ワンス見直しの議論は,約2年にわたる長期間に及んでいる。機器メーカーは抜本的な見直し策として2005年秋に,受信機や録画機の改修を必要としない「EPN」への変更を提案した。しかし放送番組の著作権に関連する権利者団体や放送事業者らの強い反対に遭った。コピーの世代を制限できないEPNでは,ねずみ算的にコピーが増えてしまう可能性があると考えたためである
 なんだが、権利者団体の気持ちは分かるけど、結局まだまだ自分で自分の首締めてるよなぁって気がする。それはねずみ算式にコピーは増えるだろうし、その分権利侵害も多くなるだろう。でもいくらコピー制限をしたところで悪者は易々と突破するだろうし、99%の一般人にとってはやっぱり「デジタル放送使いにくい」と言うイメージ以外は残らない。何よりも「この番組面白いよ」という口コミができない。方や口コミが広告には重要だと言いつつ、お金をかけ、方や口コミの制限にお金をかける。全くバカらしい以外の何者でもない。
 コピーの世代を制限したいらしいけど「コピーの世代」って早い話口コミの連鎖のことなのでは?同じことはJASRACの態度でも感じるけど、「もう少し締め付けたらもっとお金が取れるのでは?、もう少しぐらい、もう少しぐらい…」と結局はパイを自滅させているだけのように感じる。聖書の寓話に
自分のラクダをどんな重い荷物でも運べると自慢していた農夫が、毎日少しずつ多く干し草を積んで町の市場に通っていたが、限界を超えて積んだ少しの藁で、ラクダが骨を折って死んでしまった。
と言うのがあるらしいけどまさしくこれだ。